言語学から紐解くことばのイロハ~談話・言説分析

言説研究の軌跡

応用言語学を問い直す―第19回明海大学応用言語学セミナー概要と個人的見解

更新日:

11月26日に明海大学で開かれた応用言語学セミナーに参加してきました。

その概要と個人的見解を簡単にまとめておこうと思います。

基本情報

日時:2016年11月26日(土)

場所:明海大学浦安キャンパス講義棟1階2102教室

タイムスケジュール

12:30 受付開始

13:00 - 13:15 趣旨説明

大津由紀雄(明海大学大学院応用言語学研究科長・外国語学部長)「なぜ、いま、『応用言語学を考える』のか?」

13:20 - 14:10 柳瀬陽介(広島大学大学院教育学研究科英語教育学講座教授)「言語学という基盤を問い直す応用言語学?―意味概念を身体・複合性・複数性から再検討することを通じて―」

14:20 - 15:10 安田敏朗(一橋大学大学院言語社会研究科准教授)「応用言語学は応用がきくのか――日本の言語政策のあり方から考える」

15:15 - 16:05 瀧田健介(明海大学外国語学部准教授)「極小主義プログラムと応用言語学」

16:20 - 17:30 パネルディスカッション(上記講師の方及び大津研究科長によるパネルディスカッション)

第19回明海大学応用言語学セミナー概要

「なぜ、いま、『応用言語学を考える』のか?」―大津由紀雄(明海大学大学院応用言語学研究科長・外国語学部長)

このセミナーは明海大学大学院応用言語学研究科長・外国語学部長の大津由紀雄先生による開催趣旨説明から始まった。

テーマはズバリ「応用言語学とはなにか」ということを問い直すことにあるという。

プログラムの説明文の冒頭も以下のように始まる。

 我らが応用言語学研究科が研究科名にその名を冠する「応用言語学」については多くの研究者がそれを規定することのむずかしさを認める。事実、応用言語学の現状は混とんとしており、いわば「なんでもあり」の状況を呈している。この現状を放置すれば、応用言語学はやがて科学として認知されなくなってしまう危険がある。

ここで明確に見て取れるのは大津研究科長による「応用言語学の『なんでもあり』なあやふやさによって科学とは言えないものになってしまう」という危機意識である。事実、セミナーにおいても冒頭の趣旨説明でも、その後のパネルディスカッションでもこの点が大津研究科長の主張の根幹をなしていた。

プログラムの説明の第2段落においても以下のように続く。

 本セミナーの出発点として、わたしは応用言語学をあくまで科学のいち分野であると考え、応用言語学であるための必要条件として、①基礎言語学を重要な基盤とし、基礎言語学との関係が透明である研究で、かつ、②理論志向が明確である研究であることを提案する。

このような提案に対し、事前に同様の内容の小論を講演する先生方に通知した上で3人の方による講演が行われ、最後に「応用言語学たるものはなにか?」という点に関するパネルディスカッションが行われた。

「言語学という基盤を問い直す応用言語学?―意味概念を身体・複合性・複数性から再検討することを通じて―」―柳瀬陽介(広島大学大学院教育学研究科英語教育学講座教授)

英語教育研究者として日頃から学生や諸先生方と接している柳瀬教授は、英語教育の現場観察を重ねるにつれ言語学概念だけでは自身の理論的枠組みに対応しきれないと至るようになり、哲学者のウィトゲンシュタインやアーレント、さらには社会学者のルーマンなどを援用した理論的枠組みとして捉えるに至ったという。

つまり、応用言語学をあくまで理論言語学を前提とした科学として捉えようとする大津研究科長との意見とは対立するものだった。

そのため、「あなたは科学者ですか?」という問には次のように答えるという。

「いいえ、違います。ただし、研究者の端くれではあります。実践に対して、できるだけ体系的な探求をすることを試みてます。ですが、自然科学の厳密性はもっていません。」

アメリカ応用言語学学会(AAAL)の応用言語学の定義は以下のようになっている。

Applied Linguistics is an interdisciplinary field of inquiry that addresses a broad range of language-related issues in order to understand their roles in the lives of individuals and conditions in society. It draws on a wide range of theoretical and methodological approaches from various disciplines–from the humanities to the social and natural sciences–as it develops its own knowledge-base about language, its users and uses, and their underlying social and material conditions.1)Definition of Applied Linguistics | AAAL

この定義では大津研究科長が唱えるような「科学」としてのあり方を応用言語学に求めていない。むしろ、広範な応用性を必要とする、あるいは活用できる現実社会における言語的事象に対して取り組むものとしている。

こうした説明の後にも「哲学と言語学における意味の分類」「科学の定義」「意味概念に対する哲学的探究(複合性、複数性、身体性)」などといった言及が続いた。

最後に結論として、

  1. 応用分野にとって、科学は基盤でなく先端部分である
  2. 実践研究にとって、研究対象は自らを含む出来事である

を挙げている。

1.の「科学は応用分野にとって先端部分である」というのは、複合的な対象を研究する応用分野にとって現象の再現可能性に基づく反証実験の継続が困難であり(複合性)、社会的な事象においては単一の視点・観点からの結論では決定的ではありえなく(複数性)、人間の認識が「この身体」を通していることからすれば主観性を看過できない(身体性)といったことを指す。

2.の言及とも合わせて、かなり哲学における現象学的な観点が強いと言えるだろう。

こうした主張をしつつも科学をただ単に否定しようとする意図は柳瀬教授にはない。少なくとも、「なんでもあり」な状態でいいとは考えていない。

その証拠に結語に「科学と哲学の区別に基づく協働」という言及をしている。ここでは、科学者は似非科学的研究をしっかりと批判しつつも、非科学的な哲学的探究と協働すべきではないかと提議している。

「応用言語学は応用がきくのか――日本の言語政策のあり方から考える」―安田敏朗(一橋大学大学院言語社会研究科准教授)

安田准教授の講演では、明治期の言語政策といった人々の思惑や政治的な背景をつぶさに取り上げ、漢字の使用などといった国語の政策がナショナリズムと関わりながらどのように推移していったかを論じたものだった。

本人が言うように、直接は応用言語学に関するものではないが、前述したAAALに定義によるとこうした研究も応用言語学の範疇に入るともいえる。

「以前、明海大学に一時在籍しながらも別の大学に移ってしまったこともあり、今回は頼まれたので講演を引き受けた」とのことで、応用言語学が如何なるものか直接的に論じるつもりはなかったそうだ。

「極小主義プログラムと応用言語学」―瀧田健介(明海大学外国語学部准教授)

瀧田准教授による講演は生成文法理論における最新の極小主義プログラムに関するものだった。こちらもどのようにして生成文法理論が今の理論に至ったのかを論じたものであり、ほとんど応用言語学に関する言及はなかった。しかし、基礎研究の成果を応用する応用言語学にとって、良い見通しを提供しているのではないかと結ぶ。

パネルディスカッション

このような経緯から、パネルディスカッションでは発起人の大津研究科長と柳瀬教授の議論が主に展開されていった。

両者共に共通しているのは、「なんでもあり」ではよくないということだった。柳瀬教授は実際に現場の近くで研究する身としてはある意味ジェネラリスト的な立場を取らざるを得ないしそれが必要であることを主張し、大津研究科長はあくまで応用「言語学」は基礎言語学を前提とする言語学でなければ科学にはなりえないのではないかという風に安田准教授と瀧田准教授を巻き込みながら議論は続いていった。

ここで両者が前提とすることを整理すると以下のようになると思われる。

  1. 応用分野とはいえ「なんでもあり」ではよくない。
  2. 大津研究科長:科学的な言語学である必要がある―応用「言語」学
  3. 柳瀬教授:それぞれの研究の限界を見極め、現実に即した言語に関する言語学も必要である―「応用」言語学

二人の議論はそこまで平行線をたどっているわけでない。両者共に学術的であるべくとするが、違うのは「言語」か「応用」に重点を置くかという点である。

思うに、この議論はわかりやすさと伝統的な学問観からみれば大津研究科長に分があるが、「応用言語学」という領域として捉える際には柳瀬教授が支持する応用言語学学観の方が複雑でわかりにくくはあるが新しい哲学的な知見を取り入れ、より的を射た射程を描けているように思える。

個人的見解:応用「言語」学ではなく「応用」言語学として学術的な対話を繰り返していく必要性

今回の議論は前提と目されていた「応用言語学」を問い直すというものであり、大きなテーマだったと言える。

しかし、正直こうした議論は方向性を調整するには難しく議論が散漫になりかねないと思う。

というのも、そもそも学問のカテゴリーはいったいどのように分けられたといえるのだろうか?

大津研究科長の趣旨説明でも言及されていたが、外国語教育に関する「科学的アプローチ」として産声を上げたのが1940年代中盤となる。しかし、こうしたアプローチは基礎言語学というよりも学習科学との親近感が強いとも言及している。

つまり、学問のカテゴリー名も歴史的な背景を元にして、その必要性と妥当性が「対話」を通して認められていたことにより起きたものであると言えるのではないだろうか?

すなわち、はじめから定義されるものではなく、個々の研究者による必要性、またそれらが生まれた社会的な背景、そしてそうした研究者同士のコミュニケーションによって妥当性が合意によって達成され出来上がっていくのが学問のカテゴリーなのではないかということである。

確かに、学問において客観・主観の峻別や概念の定義、方法論の精錬をすることは非常に重要なことである。しかし、そうした前提はそれこそ科学哲学といった分野により反証可能性は反証不可能性に陥らざるを得ないといったことが明らかになってきている。厳密であろうとする自然科学においてすら突き詰めた先には科学で明らかになっていることの限界性が垣間見えている中で、増してや人文科学・社会科学における「科学」とはいったいどのようなものだといえるのだろうか?

しかしだからといって、人文科学・社会科学の領域では「科学」たり得ないということを言いたいのではない。そうではなく、結果に至る過程を絶えず「批判」にさらしていくことが「応用」分野においては重要になってくるのではないかと思うのである。「なんでもあり」と「科学」を二項対立的に論じるのはやや不毛な議論に陥りかねない。そうではなく、それこそ学問の出発点としての問に戻りつつ、研究者同士の、そしてもちろん現場にいる当事者同士の対話を繰り返していく必要があるのであり、それしかできないのではないかと思うのである。

それが現時点で言える限界のように思われる。しかし、こうした議論が起こることは問題意識を表明し議論にまで昇華したという点でも良かったことなのではないかとも思う。

現にこうして研究者の端くれ者が、改めて学問とはなにか?言語学とはなにか?応用言語学とはなにか?ということを考えるきっかけになり、こうして言語化しインターネットにて公表するに至った。

どこの誰がこの文章を読むかは全くわからないが、こうしたコミュニケーションの連鎖が起こることこそが学問的な営みの一端を担っているのではないかとも思う。

注釈・参考文献   [ + ]

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