言説分析とアクターネットワーク理論の接点とその可能性

「理論書ばかり読んでないで調査に向けた準備と読書をもっと進めなさい」と最近言われたものの、気づけば理論的な本や論文を読んでしまう。というのも、僕が当初、ディスコース研究として援用しようとしてきた批判的談話研究への違和感をどうにか乗り越えたものを編み出していきたいと考えてしまったからだ。

批判的談話研究における三つの大きな課題―規範/研究/問題

最近は、『「ボランティア」の誕生と終焉 <贈与のパラドックス>の知識社会学』を読んだ影響もあり、ハードな解釈主義系の言説分析だけでなく(弱い)知識社会学と記号論系言語人類学の位置づけを探っていた。

理念史でも言説分析でも構築主義でもない「ボランティア的な語り」の理論・分析枠組みの整理

僕がメインで扱いたいのは「今ここ」でありつつ、時空間を超えて連続性を持って展開される言説であり、特にメディアディスコースに対する分析をしていきたいと考えていたこともあり、『ハイブリッド・エスノグラフィー NC研究の質的方法と実践』におけるネットワークコミュニケーションの系譜や人類学的位置づけ、さらには『メディア・社会・世界 デジタルメディアと社会理論』を中心にイギリスの学者ニック・クドリーの社会・メディア理論を参照していた。『デジタルウィズダムの時代へ 若者とデジタルメディアのエンゲージメント』を著した高橋利枝さんとも交流があるようである。

人類学的メディア研究への接続―『ハイブリッド・エスノグラフィー NC研究の質的方法と実践』 文化概念の再考―累積性・連続性・儀礼性をメディア研究を軸に捉える 複雑な社会文化コミュニケーションを分析する―『デジタルウィズダムの時代へ』

だがしかし、起点には記号論系の言語人類学やその社会文化調査・分析方法を学びつつも、メゾ-マクロと展開されるディスコース研究を今後の研究の方向性と絡めて位置づけていくのは相当骨が折れる。さすがに頭がいっぱいいっぱいになってきてしまった。

あまり軽々しくこれら諸理論や方法論を越境できると豪語するつもりはないが、『社会科学の考え方 認識論、リサーチ・デザイン、手法』を著した野村(2017)も、言説分析に取り組む場合には「自ら文献を読み進めて手法自体を理論的に研究・貢献する意欲が必要になる」と述べているように、こうした頭を悩ますこと自体は必要なプロセスなのだと思っている。

そんなことで悶々としていたこともあり読まないようにしていた、『社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門』をつい読んでしまった。が、とても面白い。僕が思っていた以上に、自分が考えている言説分析との接続可能性があるように感じはじめた。前置きがかなり長くなったが、簡単に「言説分析」と「アクターネットワーク理論」についてまとめる。

言説分析とアクターネットワーク理論の概要

筆者の視点
アクターネットワーク理論は最近、勉強し始めたので言説分析以上に暫定的な理解になります。また、筆者は「自己責任論」を中心とした言説分析を行うことを考えている中での理論・方法論の整理としてこれらの分野を学んでいます。

言説分析

言説分析という手法を理論的に打ち立てたのはフランスの哲学者ミシェル・フーコーだと言われている。その後、ラカンやキットラーをはじめとしてフーコーの言説分析を批判する流れもあり1)北田暁大(2006)「フーコーとマクルーハンの夢を遮断する―フリードリッヒ・キットラーの言説分析」、佐藤俊樹、友枝敏雄(編)(2006)『言説分析の可能性 社会学的方法の迷宮から、これらの「言説」はハードな言説分析と言われ、あらゆる社会的事象や人間までも!含めて表象(ことばや記号 etc.)されたものによって社会的に構築されているとする。

つまり、このハードな言説分析は反本質主義で、フーコーの言説分析ではあらゆる「知」は言表(エノンセ;知の最小単位2)エノンセはフーコーの生み出した概念で、主体が属する世界の中で使用され、使用されることによって社会的意味を構築する最小単位のことを指す。)によって作られているのであり、それらが流通しており、ドミナントな地位を得る知、それに影響される「主体」と「権力」の関係を分析する分野である。

よく参照されるのはフーコーだが、他にもラクラウ&ムフ(ポストマルクス系)による言説もあるし、フェミニズム関連ではジュディス・バトラー(未読)、教育社会学分野ではバジル・バーンステインが用いている理論や手法である。社会学や政治学の分野、とりわけ「ことば」に焦点を当てて、その社会的な位置づけが変遷しているのかを歴史的にも探る志向性(例:歴史社会学)を持っているのが言説分析だと言える。

基本的には「知/権力」の関係性を問いかけるのが言説分析だが、言語学ではディスコースは「談話」と訳されることが多く、よりミクロなレベルでどのようにことばが使用されているか、ことばそのものの機能と相互行為の関係性に垣間見えるアイデンティティや価値観は何か、このような問いを持つものは談話分析と呼ばれる。

比較的、この談話分析と呼ばれるものは言説分析に比べて実証的、経験主義的に徹底して調査・分析する志向性を持っている。社会学や政治学で用いられる言説分析が解釈的であるのならば、談話分析は「解釈的-実証的」の振れ幅がありつつ、どちらかと言えば実証的な研究が日本では多いという印象だ。

アクターネットワーク理論

アクターネットワーク理論は、科学と社会・政治との関係を問う科学技術社会論(Science, Technology and Society;STS)を出自にした理論で、科学社会学/科学人類学を専門とするフランスの研究者ラトゥールらによって提唱された。

ラトゥールは「近代」を問う研究者の一人であり、近代的二文法(主体-客体/社会-自然)から脱却を目指して、科学者がいかに知をつくりあげるのか、その形成過程をフィールドワークを行って分析した者である3)ラトゥールは「科学哲学」の議論で時たま見かけていたが、「フランスっぽいラディカルな思想で嫌いではないが、やや極端だな」という印象を持っていた。

アクターネットワーク理論は、浜田(2018;P102)『アクターネットワーク理論以降の人類学4)前川[ら編](2018)『21世紀の文化人類学 世界の新しい捉え方』第2章』によると「特定の現象がどのように可能になっているのかをアクターのネットワークによって説明する理論」であり、アクターとネットワークは「アクター – ネットワーク」と示されるように不可分なものと捉えられている。

浜田(2018)は「携帯電話」を例に、充電する機会(電気が発電され、発電のための燃料などのエネルギー資源が必要であり、発電された電気を運ぶための送電網や出力するプラグが必要)と電波の中継局とも結びついて携帯電話は成り立つ、と説明するように携帯電話はそれ単体「だけ」では携帯電話とは呼べない別の何かであると説明する。

アクターネットワーク理論では、アクターは人間のみを指すのではなく、携帯電話やそれらにまつわるモノ(非人間)も含めており、それらは単に受動的な存在なのではなく人間の行為・態度・認識に働きかけるものであるとされている。同時に、アクターがアクターとして機能するためにはネットワークが必要であり、両者を独立したものとして捉えず、連関して事象を生み出すものとして捉えられている。

アクターを人間に限定せず、また、ネットワークから独立したものと考えないことによって、ANTでは、モノや機械や動植物や制度と人間が寄り集まって形成されるネットワークによって特定の現象がいかにして可能になっているかを説明しようとする。

浜田(2018;P103)

言説分析とアクターネットワーク理論の接点

批判的研究への違和感

基本的にアクターネットワーク理論は人類学出自ということもあり、言説分析を中心に考えていた筆者は積極的に触れる必要はないと感じていた。初期は批判的談話研究に比重を置こうとしてきたのも大きい。しかし、ラトゥール(2019)『社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門』ではまさにそのブルデューをはじめとした「批判的社会学」は仮想敵として執拗に批判対象として取り上げられている。

批判的社会学をはじめとした批判理論の志向性と関連する研究分野は、基本的には「権力」「イデオロギー」をはじめとしたものを批判し、なぜそのような権力やイデオロギーが機能しているかを「社会構造」などをはじめとした概念を用いて説明しようとする。

僕自身もその志向性はあるのだが、安易に「権力」ということばを乱用してしまうことには違和感を抱えてきた。例えば、「自己責任論」がなぜこうも日本社会で巻き起こり、「自己責任」という言説が繰り返し用いられているのかということを考えたとき、権力者だけではなく、幅広い人々(オーディエンス)にも素朴に受け入れられて用いられているからだ5)例えば、日本における元祖「子どもの遊び場」として知られるせたがやプレイパークでは「自分の責任で自由に遊ぶ」、また山口県山口市に立地している2012年から設けられているコロガル公園でも「自己責任を学ぶ」という文言が使われている。これらは明らかに教育的位置づけを親御さんや地域に向けて発せられている文言で、一概に社会構造的な「権力」と結びつけて論じるには適さないだろう。単純に、教育学的に「子どもの遊び場」として「自由」と「責任」が輸入され、時代的変遷や施設の方針としての差異を研究するのに興味深く、いつか取り組んでみたいと考えている。

特定の話者(例えば政治家、知識人、経営者をはじめとした象徴的エリート)が「自己責任」として論じているケースは比較的、分かりやすいのだが、どうにもそれだけの問題ではないように感じる。もっと、文化的な連続性を持った規範意識を読み解くための分析枠組みが必要だと感じたことから、記号論系の言語人類学を学び始めた6)記号論系の言語人類学ではパースの指標性、類像性、象徴性という概念を起点に、言語コミュニケーションの6機能(表出的機能、動能的機能、詩的機能、交話的機能、メタ言語的機能、言及指示機能)から象徴的な言語文法や相互行為を包括的に位置づけ、一回的な出来事性(「今ここ」でなされる発話 etc.)と論理的な形式性から社会文化を研究するものになっている。

しかし、言説分析という枠組みで研究する以上、「権力」という概念はつきまとう。それは、(弱い)知識社会学の場合でも、なんらかの社会構造をはじめとした枠組みに依拠することになり、分析する「単位の不確定性」問題がどうしてもつきまとう7)佐藤俊樹(2006)「言説分析とその困難(改訂版)―全体性/全域性の現在的位相をめぐって」、佐藤俊樹、友枝敏雄(編)(2006)『言説分析の可能性 社会学的方法の迷宮から

むやみに大きな問いを持つのではなく、明確な問いを持ち、一定の分野における研究蓄積を更新するために調査・分析を行えばまずはいいのだが、どうやって着地点を見出すべきなのか、逡巡してしまっていた。

脱権力分析としてのANT

そこで、改めて邂逅したのがアクターネットワーク理論(引用では、略してANTとなっている)なのだが、この理論の特色の一つが「なるべく権力を避けること」であると見て、以前に増して興味が湧いてきた。

ANTは常に「権力を避けること」をスローガンにしてきたのである。つまりは、逆火(バックファイア)を起こして、狙いを定めた目標ではなく自分の説明に命中してしまわないように、可能な限り権力の概念を用いないようにしているのだ。抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)のない説明は存在すべきではない。

ラトゥール(2019;P491)

アクターネットワーク理論は単にアクター-ネットワークを拡散して分析するのではなく、「連関の社会学」というように、いかに「社会的なものを組み直す」のかを目標に位置づけている。そういう意味では、批判理論が目指すような「啓蒙」を掲げているというよりも、むしろ、個々の人間や自然をはじめとしたモノさえも含みこんで調査や分析を行う、という根幹的には似た目標を掲げているようだ。

言い換えれば、ネットワークの中でアクターに寄り添って社会的なものを組み直していく志向性を持っているのがアクターネットワーク理論だという。

アクターネットワーク理論を用いた言説分析

さらに興味深いのが、「脱権力」分析を志向しながらもアクターネットワーク理論を用いた言説分析も展開されているからである。

「空間・地理・社会思想」なる論文集のなかで、ナイジェル・スリフト(2019)の論文『複雑性の場所』の翻訳8)Nigel THRIFT(1999)“The Place of Complexity”, Theory, Culture & Society, 16(3), 1999, pp. 31–69.とその解説として林凌(2019)『解題 把握しがたいものとして都市を記述すること―関係論的地理学における空間・時間と言説の関係性について―』が記載されている。

林(2019)によると、ナイジェル(2019)の論文は「イギリス都市研究・産業社会論におけるアクターネットワーク理論、あるいはフランス現代思想に依拠した関係論的な記述の可能性を開いた論文の端緒である」と指摘している。アクターネットワーク理論に依拠しつつ、「複雑性理論」のアイディア(複雑性のメタファー)がどのように普及したのか、その過程を地理学的課題として取り上げられているという。

ナイジェル(2019)における知見の応用可能性を林(2019;P210)は二つあげている。

  1. 特定の言説の系譜における空間・場所の重要性を指摘すること。
    1. 「人々の実践の中で空間と言説双方が相補的な形で生産されていくものとみなし、分析していく必要がある。」
  2. 「進歩的な場所感覚―時間感覚」が生じ、消え、変転していくプロセスを、具体的な実践の形式に沿う形で記述すること。
    1. 「メディアの形式の変化の中で、どのような形で独自の場所感覚・時間感覚を育むようになったのであろうか。」

「場所性・空間性」に応用可能性の焦点を当てているものの、今現在のグローバル時代の中で、人類学が直面している状況はこうした「時間性・空間性」の変容とデジタルメディアをはじめとした環境の変化であることは疑いなく、上記の視点は考慮に入れるべきことの一つであるに違いない。

また、林(2019;P211)は最後には以下のようにアクターネットワーク理論とそのスタンスについてまとめている。

(アクターネットワーク理論におけるネットワークの生成性の説明後)重要なのはそうした不確定性を科学に反するものとして排除したり、研究者の目線でもって無理に秩序化させたりする―これは研究者の目線から真実を表しているが、それは真実ではない、などの理由で言説や空間的表象を縮減する―のではなく、人々の実践に付随するそうした不正確性そのものを記述し、それがどのような場面においてたち現れるのかを論じることにほかならない。

林(2019;P211)

アクターネットワーク理論では、「正しさ」を標榜するのではなく、あくまでも「アクターが何をしてるのか」をひたすらに記述していくと同時に、それらがどのようにネットワーク化された環境の中で行われ、また生成していくかを探るといえるのだろう。

これは、安易にあらゆるものに内在する(であろう)「権力」を引っ張り出すのではない方法で言説分析を可能にするのではないだろうか。

今後の課題や展望

とはいえ、アクターネットワーク理論に関しては勉強をはじめたばかりである。言説分析も調べだすと霧がなく、またテクニカルな談話分析も多少の知識はあっても実際の分析に応用していくためにはもっと膨大な時間がかかる。

さらに、「自己責任」というディスコースが抱える「自己・主体・アイデンティティ」「責任・規範・イデオロギー」をはじめとした諸概念を紐解いていくにも、到底、勉強が足りない。

だが、言語人類学を起点にしつつ文化研究とその知識を学び、言説分析とアクターネットワーク理論による、より動的で相補的な研究のあり方の回路が開けていけるのではないか、という気がしている。

ラトゥール(2019)を翻訳した伊藤嘉高さんも「あとがき」にて、害悪の根源は不十分に満足してしまうこととし、より今後の議論と発展を求めている。

存在論的転回を遂げているとされる人類学の研究群もあり、特に「オリゴ(「今ここ」の視点)」とその指標類像的な関係を重視する記号論系の言語人類学とも接点が合うように思える。「思える」で終わらないように、言説分析とともに勉強し、論じていくつもりだ。

Reference   [ + ]

1. 北田暁大(2006)「フーコーとマクルーハンの夢を遮断する―フリードリッヒ・キットラーの言説分析」、佐藤俊樹、友枝敏雄(編)(2006)『言説分析の可能性 社会学的方法の迷宮から
2. エノンセはフーコーの生み出した概念で、主体が属する世界の中で使用され、使用されることによって社会的意味を構築する最小単位のことを指す。
3. ラトゥールは「科学哲学」の議論で時たま見かけていたが、「フランスっぽいラディカルな思想で嫌いではないが、やや極端だな」という印象を持っていた。
4. 前川[ら編](2018)『21世紀の文化人類学 世界の新しい捉え方』第2章
5. 例えば、日本における元祖「子どもの遊び場」として知られるせたがやプレイパークでは「自分の責任で自由に遊ぶ」、また山口県山口市に立地している2012年から設けられているコロガル公園でも「自己責任を学ぶ」という文言が使われている。これらは明らかに教育的位置づけを親御さんや地域に向けて発せられている文言で、一概に社会構造的な「権力」と結びつけて論じるには適さないだろう。単純に、教育学的に「子どもの遊び場」として「自由」と「責任」が輸入され、時代的変遷や施設の方針としての差異を研究するのに興味深く、いつか取り組んでみたいと考えている。
6. 記号論系の言語人類学ではパースの指標性、類像性、象徴性という概念を起点に、言語コミュニケーションの6機能(表出的機能、動能的機能、詩的機能、交話的機能、メタ言語的機能、言及指示機能)から象徴的な言語文法や相互行為を包括的に位置づけ、一回的な出来事性(「今ここ」でなされる発話 etc.)と論理的な形式性から社会文化を研究するものになっている。
7. 佐藤俊樹(2006)「言説分析とその困難(改訂版)―全体性/全域性の現在的位相をめぐって」、佐藤俊樹、友枝敏雄(編)(2006)『言説分析の可能性 社会学的方法の迷宮から
8. Nigel THRIFT(1999)“The Place of Complexity”, Theory, Culture & Society, 16(3), 1999, pp. 31–69.

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論文:松木啓子(2009)『アカデミックライティングの社会記号論 知識構築のディスコースと言語イデオロギー』 | Discourse Guides

[…] 書籍も論文を読む数も膨大になっていくと整理が大変だ。前回の記事にも書いたように、頭がいっぱいいっぱいになってきたので、改めて整理の方法を模索している。その中で、落合陽一さんの「論文の読み方」を援用した記事(実験系)をさらに援用させてみたのが、今回の7項目である。 […]

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