研究の方向性②―個人・社会・文化の位相で情動-関心-利害を軸にした<価値>をめぐったディスコース分析

ディスコース研究の困難さと可能性について、「ミクロ-メゾ-マクロ」の軸でめんどくさい概念を整理した。

研究の方向性①―ミクロ-メゾ-マクロのコミュニケーション/ディスコースを分析する

以下が上記の記事でも述べた研究の方向性である。

テクスト(ミクロ)とディスコース(メゾ)がメディアを媒介して、ディスクール(マクロ)が、個人・社会集団・文化の位相の中で「情動-関心-利害」を軸にした<価値>をめぐって動的に形成される言説分析の実践と理論・方法論の洗練化

今回は、「個人・社会集団・文化」の位相と「情動-関心-利害」を軸に<価値>をめぐってなされるコミュニケーションの分析について簡単に書き記しておく。

<価値>

ディスコース研究が中心的な研究対象とするのはあくまでも「ことば」である。だから、ディスコース研究をするということは、大なり小なり、「ことばの研究家」となるわけだが、ディスコースを対象にした時、言語学のような「ことばの形式的意味関係」は大きな研究対象にはならない。

なぜなら、「ディスコース」として社会文化空間に構築されるには、なんらかの力関係がそこにはあると捉えるのであり、つまりディスコース研究とは「ことばの持つパワーの分析」と言い換えられるだろう。

敢えて権力ではなく「パワー」としたのは、縦の関係だけでなく、横の関係にも、力関係はあるのであり、それは一般に認知されている「権力」という概念とは異なるためである。普通、学術用語は一般に認知されているものよりも、研究者集団で認知されている「ことば」に特定の意味を付与し、それを用いる傾向にあるのだから、これはちょっとアウトローな選択である。

しかし、まさにこうした研究者集団こそが「ディスコース」を構築していると捉えると、日常生活のパラダイムをわざわざ射程に入れて、テクスト分析を考えている自分にとっては、安易に「権力」ということばを使うことは避けた方がいいのではないかと思うのである。

つまり、ことばを選択するに当たっての<価値>の問題がディスコース研究には含まれていると示唆していると言えるだろう。

情動・関心・利害

コミュニケーションはどのように紡がれるのか。さまざまな観点があるが、「パワー」関係を最も基軸にして捉えるディスコース研究の観点からいうと、「情動・関心・利害」の軸があるのではないかとにらんでいる。といってもまだアイディア段階ではあるが、イン/ポライトネス研究批判的談話研究(Critical Discourse Studies:CDS)を行っている柳田(2014)も、「利害/関心」を従来の「フェイス」に代わる概念として提起している。

論文①:『ポライトネスの政治、政治のポライトネス』

さらに、言語人類学の中でもマイケル・シルヴァステインの指標性や出来事、視点を軸に理論を展開している「社会記号論系言語人類学」を提唱する小山亘(2008)『記号の系譜 社会記号論系言語人類学の射程』の議論の根底にも、パースの記号論があり、そのパース記号論はホワイトヘッドの哲学とともに、伊藤守(2017)『情動の社会学 ポストメディア時代における”ミクロ知覚”の探求』でソーシャルメディア時代のコミュニケーションのキー概念に「情動」を取り上げている。

ソーシャルメディア時代/ポスト近代に向かう中での批判的研究とはなんなのだろうか?

このように取り上げられているからといって議論を急ぐべきではなく、これから丹念に理論を検討しつつも、実際のコミュニケーションの中で何がなされているのか、地道に探求していくべきだろう。だが、今まで理知的であった研究者のまなざしは人間の「情動や欲望」を上手く捉えきれてこなかったから、今の衰退した人文学の現状があるのではないかという指摘もされていることは、よくよく念頭に置いておくべきである1)東浩紀(2017)『ゲンロン0 観光客の哲学』は、人間と国家を二層構造として捉え、その「理性/欲望」を軸に、オルタナティブな現代政治哲学を提起した著作である。

個人・社会・文化

コミュニケーションと一重に言っても、それに関わる主体(エージェント)は多岐にわたる。しかし、大きく括ると、そのエージェントは「個人・社会・文化」と位相を分けることができるだろう。

そうした枠組みとして参考にしているのは、高橋利枝(2015)『デジタルウィズダムの時代へ 若者とデジタルメディアのエンゲージメント』である。高橋(2015)は、複雑系の科学の概念をコミュニケーションモデルに援用させて、以下のようなモデルを提起した。XYZは順に「個人・社会集団・文化」であり、αは「パワー」、βは「自己組織化」を指している。

個人も、社会も、文化も、それぞれがそれぞれ動的に形成されているものであり、「内外(例えば、個人内対話と個人外対話)」におけるコミュニケーションを紡いで、相互に影響を与えあっていることを指す。

特に言語分析におけるこれまでのコミュニケーションモデルは「A→B」といったような単純な構造を取ることが多かった。しかし、こうしてテクノロジーが発達した高度なデジタルメディア空間上では、そのような単純なモデルでは説明がつかない。例えば、Twitterなんて誰に向かってつぶやいているか意識したところで、予想だにしないところから絡まれることがある。さらに、「ことば」だけに注目していると、人間が共在している「場」の領域において生起している複雑な関係性は見て取れないはずだ。

そのまま複雑系のコミュニケーションモデルを採用すればいいという単純な話ではないが、十分、参考になるモデルだと捉えている。

複雑な社会文化コミュニケーションを分析する―『デジタルウィズダムの時代へ』

これからの研究を行っていく上での姿勢

というわけで、大きくまとめると2018年7月現在、以下のように研究の方向性を言語化してみた。

テクスト(ミクロ)とディスコース(メゾ)がメディアを媒介して、ディスクール(マクロ)が、個人・社会集団・文化の位相の中で「情動-関心-利害」を軸にした<価値>をめぐって動的に形成される言説分析の実践と理論・方法論の洗練化

そう、理論的なことばかり語るのではなくて、実際に分析する必要があるし、その上で学問として評価に耐えうるものとして、方法論を練り上げなければいけない。とてつもなく、時間と労力がかかる作業になるだろう。感覚的には、実際の分析込みで、多少、まともに論じれるのにあと2、3年はかかるだろうし、そこから修正する作業もある。果てしない。

だが、何度も言うように、すごく可能性というか、やりがいがある研究だと思っている。

Discourse Guidesでは、定期的に調査や研究の成果をまとめ、またそれがどのような学問の系譜や枠組みから分析して得られた知見なのか、なるべく理解しやすいように工夫した記事を書いていきたいと思う。

修士、博士の間は特に厳しい時期で、頻度はそう多くないだろうが、変に焦りすぎることもなく、楽しんで取り組むつもりだ。

注釈・参考文献   [ + ]

1. 東浩紀(2017)『ゲンロン0 観光客の哲学』は、人間と国家を二層構造として捉え、その「理性/欲望」を軸に、オルタナティブな現代政治哲学を提起した著作である。

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