論文②:『ポライトネスの政治、政治のポライトネス』

博士学位申請論文『ポライトネスの政治、政治のポライトネス―批判的アプローチからみた利害/関心の批判的分析』の分析編である4章から6章を読みました。

前回の記事―理論編(ポライトネス)

前回の記事では理論的な論述である第1章から第3章の紹介とその感想を書きました。

ポライトネス理論の批判点と、批判的談話研究(Critical Discourse Studies:CDS)への接続などを中心としたものです。

論文①:『ポライトネスの政治、政治のポライトネス』

こちらのリンク先からPDFはダウンロードできます↓

参考

ポライトネスの政治、政治のポライトネス : 談話的アプローチからみた利害/関心の批判的分析大阪大学リポジトリ

論文の概要

今回は実際に、分析を行った第4章からまとめの第6章の紹介とその感想です。

目次

4. 国会討論におけるイン/ポライトネス
 4.1. 国会討論の基本的な特徴
 4.2. 問題の所在
 4.3. 相互行為としてのフェイス・ワーク
  4.3.1. 相互行為においてフェイスを高める
  4.3.2. 相互行為においてフェイスを低める
 4.4. フェイス・ワークからイン/ポライトネス1へ
5. 「死のまち」発言をめぐるイン/ポライトネス
 5.1. 「死のまち」発言をめぐる経緯
 5.2. 分析の枠組み
  5.2.1. メディア化された政治コミュニケーション
  5.2.2. テクストと政治的実践
  5.2.3. 社会・文化的実践
 5.3. 分析の対象
 5.4. 分析
  5.4.1. 「死のまち」発言以前の報道
  5.4.2. 福島視察後の鉢呂の記者会見(9月9日午前)
  5.4.3. 「死のまち」発言の報道(9月9日夕刊)
  5.4.4. 「死のまち」発言報道に対する鉢呂経産相の談話(9月9日午後)
  5.4.5. 「放射能」発言の報道
  5.4.6. 辞任会見における鉢呂経産相の談話(9月10日)
  5.4.7. 辞任会見の報道(9月11日朝刊)
  5.4.8. 鉢呂と報道に対するオーディエンスの評価
 5.5. まとめ
6. おわりに

 

第4章では国会討論における基本的な特徴(実践の共同体)を実例とともに説明しながら、国会討論において如何にそれぞれの顔の立て合い(フェイス・ワーク)が行われ、それぞれの評価や判断・解釈がなされているのかを分析されていました。ここでは、第2章で言及されてポライトネスだけでなく、インポライトネスをも分析の対象にすることで、伝統的なポライトネス研究の超克が試みられているようです。

第5章では、Norman Faircloughの用いる談話分析アプローチを援用しながら、「死のまち」発言から辞任に追い込まれていった鉢呂元経産相大臣がどのような発言をし、それをジャーナリストがどのように受け止め、報道し(再コンテクスト化)、オーディエンスである市民がどのような反応を示したのか(コミュニケーション出来事の連鎖)ということを時系列的に実際の発言を取り上げながら分析されていました。

最後の第6章では、論文のまとめと今後の課題(善悪の判断の難しさ)を述べ締められてしました。

論文の感想

実際のテクストがどのように解釈され、国会討論という場やメディアを媒介し、コミュニケーション出来事の連鎖が起きていったのか、そこにはどのような礼儀作法(ポライトネス)や思惑(イン/ポライトネス)があったのかということを細やかに分析されており、その分析の仕方など多くの勉強をさせて頂きました。

発信者の思惑や社会的立場が表れ、また同時に受信者の価値判断が談話として表現されるポライトネス研究が如何にCDSにおいて重要か。

社会「言語」学だけでなく、「社会」言語学を見ていく必要があるという論者の主張が伝わってきます…

鉢呂元経産相大臣が意図した「死のまち」発言からジャーナリストにより解釈や意図的なインタビューがなされ、いくらそれらを好ましくないと思う人が一定数いたとはいえ辞任に追い込まれていってしまったことを鑑みると、社会を考慮に入れた談話研究の重要性が見えてくるかと思います。

当然、そうした「社会」言語学研究も社会「言語学」研究やその他の言語学研究によって支えられている側面もありますから、一概にどっちがいい悪いの話でもないでしょう。

このように、二項対立的に善悪の判断を下すことはそう簡単ではないことが多くあります。CDSもフランクフルト学派が提唱した批判理論の伝統を受け継いで起きた学問ですが、如何様にして「批判」するのかということをよく考えて行っていく必要があるかと思います。

ただ批判するのは簡単ですからね。

それこそ、社会的な連関の中でどのような相互行為の元にコミュニケーションがなされ、どのような価値判断が下され、実際にどのような影響や結果が起きたのかということを丁寧に紐解きながら、その上で自身もそのコミュニケーションの連関の中に投げ打ちながらもどのような「正しさ」を主張し、また相互に批判をしあうような議論をしていけるのか、そうしたことが問われているのだと思います。

随所に示唆的な記述があり、まだまだ未熟者な自分には多くの気づきを与えて頂ける論文でした。

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