批判的談話研究(Critical Discourse Studies:CDS)にどのようにして出会ったのか。
そんな経緯を書いてみたい。
本格的哲学の道を断念して
大学に入り、大ざっぱに自分の所属する学部の内容が分かってきたときにするのが、ゼミ選び。
そんなゼミ選びが迫っていた時に、僕が最も興味・関心を持っていたのが哲学だった。
そう、最初は言語学なんてまったく視野に入ってなかった。
そこで本気で哲学を学ぶかどうかの選択で悩んだわけだが、そうするためには学部を変えなければいけなかった。
そして、本格的に研究していくとなると、哲学では英語のみならず「ドイツ語 or フランス語」に加え「ラテン語 or ギリシャ語」が必要となる。
西洋以外の哲学ならその地域、国の古語が必要。
財政的にはとてもそんな時間は残されていなかった。
様々な出会いに導かれて
そんな折に出会ったのが、国際関係を専門にして学ぶ当時大学院修士1年の先輩だった。
所属していたのが国際系の学部だった関係上、どちらかと言えば哲学などといった虚学より実学の方が好まれる環境だったため、その先輩として、研究生として国際関係学を学びながらも哲学に対する知見を持った方と出会えたのは非常に幸運だったなと今では思う。
そうして自分の問題意識等を語るうちに、学部を変えずとも哲学的な学びを活かせると思うようになっていった。
また、もともと入学当時にメディア関係(特にジャーナリスト)の就職をできればと考えていたため、参加していた広報冊子制作では取材や記事の執筆を経験しながら、言葉への興味がないわけではなかった。
そんな事情のもと、唯一あった言語人類学・社会言語学のゼミに所属することを決めたのだった。
自分のやりたいことをゼミの先生に伝えたところ、
「好きにやってみなさい。」
この言葉を頂いた。
最初はウィトゲンシュタインについてやってみたいなどと思っていたが、いざ論文を書くとなり、構成をどうするかに頭を悩ませていたところ知ったのが批判的談話研究。
たまたま卒業された先輩、それにそれまで親しくさせてもらっていた先輩が書いた卒論のテーマが「ゆとり教育」に関する批判的談話研究だった。
「自己責任」について哲学的に考えたことをきっかけに哲学に再び耽ったこともあり、哲学・言語学・社会学等の領域に関する自己責任論の批判的分析を行ってみたいと思うようになっていった。
研究の延長線上としての「批判的な読みの提示」
他にも様々な出会いや経験を経ながら、実際に「自己責任分析」に関する論文執筆を行ったところ、批判的談話研究の理念である「談話・言説分析を通した社会的不平等の解消」や「批判的な読みの提示」に魅かれ、この分野を自身の専門にしていこうと決めることができた。
この批判的談話研究では、講演等の実践的な活動を行うことも研究の延長線上のものとして捉えられている。
そこで、この『Discourse Guides』を一つの足掛かりとして「批判的な読みの提示」だけでなく「批判的な読みの方法」もお伝えしていければなと思う。