更新:教養系ラジオStudy Talk vol.1~vol.3―うなずき合いと訣れて語り合いを紡ぐ

まじめなとしちるのプロフィール

どもども、つれづれ”ちる”ままに生きたいとしちる@ture_tiru)です。

『Discourse Guides』の他に、個人ブログ『TIRU LABO』、入門学術メディア『Share Study』、学術系のメディア運営をする上でのノウハウなどをまとめた『裏Share Study』といったサイトを運営しながら、ときどきサイト制作を請け負っています。

現在(18年8月)は、筑波大学人文社会科学研究科国際日本研究専攻の博士前期課程に在学し、筑波大学のすぐそばにあるコワーキングスペース『Tsukuba Place Lab』のスタッフとしても活動しています。

さまざまな活動の根底にあるのは「教養」です。

現代ではある意味では古びれた概念でもある教養をテーマにしているのは、歴史的なコンテクストを引き継ぎながら、”今ここ”での生き方を見つめ直していきたいと考えているからです。

そういった意味では、必ずしも「研究」だけにフォーカスを当てているわけではありませんが、「理性/知性/感性」をフル活用して、他者と語りを紡ぎながら「より良く生きる」ことを自分にも外に向けても問いかけていきたいと思い、活動しています。

専攻

まだ勉学を積み重ねている最中ですので、「専門」と言えるほどではありませんが、言語人類学批判的談話研究(Critical Discourse Studies:CDS)を中心に学び、研究を行っています。

言語人類学

ことばは社会や文化を写す鏡であり、社会や文化を作る媒介でもあります。普段、何気なく使っている「ことば」に埋め込まれた社会や文化を研究するのが言語人類学です。言語人類学の中でも特に、プラグマティズムの創始者であるC.S.パースの哲学を理論の根底に持つマイケル・シルヴァステインの社会記号論を引き継いだ社会記号論系言語人類学を中心に学んでいます。

人類学が特徴として持つ「全体性」「再帰性」「批判」「歴史」を重視し、言語の全体性を捉える枠組みとして記号論の指標性・類像性・象徴性から実際のコミュニケーションとして起こっている「出来事」という「視点(オリゴ)」から捉える分野です。

小山(2012)『コミュニケーション論のまなざし』P164から引用

批判的談話研究

批判的談話研究(以下、CDS)は、「言語の中に現れた支配、差別、権力、そして目に見えるだけでなく、不透明な構造上の関係性を分析することに大きく関わる研究」とされています1)ルート・ヴォダック(2010)『批判的談話分析とは何か? CDAの歴史、重要概念と展望』(ルート・ヴォダック&ミヒャエル・マイヤー(2010)『批判的談話分析入門 クリティカル・ディスコース・アナリシスの方法』第1章)。マルクスとフロイトの哲学を融合し批判哲学を展開したフランクフルト学派の理論を根底に持ち、哲学者ハーバーマスや社会学者のギデンズやバーンステイン、ブルデューの社会理論とテクスト分析を接続した分野が批判的談話研究です。

言語学的なテクスト分析と社会学・人類学的なディスコース分析を接続し、社会文化的なパワーを持った者によるテクストやディスコースを批判的に分析することで抑圧の緩和に務める分野です。

CDSの中でも特に、ランカスター学派と呼ばれるイギリスのFaircloughの弁証法的アプローチやWodakの歴史的アプローチを中心に学び、研究の方法論として援用しています。

Faircloughの弁証法的アプローチの図式化(筆者作成)

研究テーマ

理論・方法論的な関心

CDSには「恣意的な読みになる」と会話分析者などから指摘され論争になるなど、一定の課題があります。社会記号論系言語人類学とCDSの論考はそれぞれ出自が異なるのですが「批判」や「歴史」、さらには「ことば」の背景にある、あるいは埋め込まれている社会文化を読み解くという姿勢は共通している分野です。そこで、これらの理論や方法論を整理しつつ、ディスコース研究の発展に寄与できればと考えています。

また、それぞれの分野には哲学的な前提があるため、メタ理論的な観点からも再考していければと思っていますが、これは時間のかかる作業ですから、まずは方法論的な側面から勉学に励みつつ、いずれ取り組めればと思っています。

ディスコース分析―自己責任論、大学や学問周辺の言説

実際のディスコースとしてテーマに掲げているのは「自己責任論」と俗に言われるもので、2004年のイラク日本人人質事件の際に最も脚光を浴びたことばでした。そうした一つひとつの出来事の事例研究とともに、歴史的なコンテクストと社会文化的事象を照らし合わせた分析に着手していきたいと考えています。

また、大学や学問(研究)を取り巻く言説にも注目しています。例えば、「文系/理系」といった二項対立的な概念で主義主張や議論がなされていますが、そうしたものを取り巻く言説も社会文化的な背景があってこそでしょう。

2015年に文部科学省から国立大学法人への通知から端を発した「文系学部廃止論争」など、「ことば」に着目した分析をしています。

おわりに

情報技術の進展は目覚ましく、資本主義の原理である「競争」や「効率」の推進により、個々人の「欲望」をより満たすようなサービスが提供されるようになり、また情報技術によるエンライトメントによって実践的活動が個々人単位でも起こせるようになった社会においては、「教養」だとか「学問」だとかいった古臭い、めんどくさいことの価値が相対的に低くなるのは致し方ない側面があると思っています。

実際、僕もWeb制作をするなどテクノロジーの恩恵を受けており、すさまじく便利になった知的生産ツールを駆使して、こうして勉学や研究に励んでいるわけです。

なんなら僕はテクノロジーがかなり大好きなのですが、だからといってこれまでの歴史や人々を無視してもいい、軽視してもいいといった類の主張にはかなり批判的です。

おそらく、どんなにテクノロジーが進展しても人間が人間である上でのアイデンティティーをはじめとした問題はそう簡単になくなるわけではないはずです。それは、複雑な社会問題然りです。

ですから、単に過去を否定したり無視するのでもなく、かといって未来への期待や欲望を無視するのでもなく、両方を一歩引いて捉えつつ、時に自分自身のまなざしを世に問いていきたいと考えています。

それには、どうしても大変な時間と労力がかかってしまいます。

一つの学問を収めるのにも、相当の知力体力が必要ですし、それを身につける間も生き延びるだけの財力が必要です。

というわけで、さまざまな領域での塩梅を取るために、こうしてメディア運営を行いつつ、勉学や研究に励んでいます。

正直、かなり貧乏で大変でして、サイトから書籍など買っていただけると多少、懐に入ります。

応援、批判のほど、よろしくお願い致します。

※ ノンアカデミックなふまじめバージョンのプロフィールはこちらです。

注釈・参考文献   [ + ]

1. ルート・ヴォダック(2010)『批判的談話分析とは何か? CDAの歴史、重要概念と展望』(ルート・ヴォダック&ミヒャエル・マイヤー(2010)『批判的談話分析入門 クリティカル・ディスコース・アナリシスの方法』第1章)